山や川へ入り夢中で魚を釣っているとしばしば『自然を独り占めしているのではないか』という錯覚に陥る。しかし湿原の奥地や岩がごろごろした渓流でヒグマの気配を感じた瞬間「はっ」と我に返り、冷静な自分の意識に戻ることは少なくない。前回に引き続き、釣り人とヒグマの間に引かれた目に見えない『距離感』について私の体験をもとに綴りたいと思う。釣りという静かな趣味の中に野性的な存在が影を落とすこともある
ヒグマの痕跡(写真集)













エピソード
林道に現れた湿原の主

30代前半(20年前)の頃、仕事が終わる午後2時過ぎに毎日のように地元の中流河川へ通っていたことがあった。6月なので日は長いのだが6時近くになると薄暗くなり辺りは不気味な様子へ変わる。いつもより大きなプラグをぶら下げそそくさとポイントを攻め、暗くなるすれすれで車へ到着という釣りを続けていた。そんなある日、いつものように釣りを終え車を走らせていたのだが、その日は友達と家で焼肉の約束をしていたので時間が気になり携帯電話を取ろうとしたが、その携帯が無い。どこへ置いたか考えていると、携帯電話をボンネットの上へ置いたまま乗ってきたことに気づく。あと20分もすれば家に着く地点であったが「電話が無ければ大変」と釣り場まで慌てて戻ることに…ボンネットから落ちた際、タイヤで踏みつけていないかとも心配になった。
約束もあり、もたもたしていると暗くなってしまう時間帯。途中、あまり通ったことがなかったが釣り場まで抜ける林道があったことを思い出し、近道をするつもりでその林道へ車を進める。昔通った時は一本道であったはずなのだが入り組んだ枝道が何本もあって迷ってしまった。「携帯電話が普及する中、電波塔を建てるために道が出来たのだろう、ここは進まず普通に車を止めた釣り場へ戻ろう」引き返し、直角の砂利道を抜け緩やかな登り坂へ出ると…瞬間、大きな物体が両手を広げ直立している光景が目に入る。「えっ何だ!道の真ん中に電柱がある訳がない、熊か?2mはゆうにある」そう思いたくない気持ちが強かったと記憶するが、その大きさに圧倒される。急ブレーキを踏んで「ザッザッザッ‼」と動く車に熊は動じることなくこちらを見ている。年老いた熊なのか分からないがもじゃもじゃな毛で顔がはっきり見えず、よだれを垂らしている。全身の色は黒ではなくきつね色。怖いが熊がどいてくれないとそちらへ進めない。どうしようもなく黙ってその熊を見ていると突然、「グルッ」と振り向き私に背を向け「ザッ!」と大きな音を発し笹藪の暗闇へ消えて行った。通過途中、熊が消えた場所を恐る恐る確認したが何の気配もなく「シーン」としていた。
「今のは何だったんだ」驚く気持ちを落ち着かせ、車を止めていた場所を探すと踏みつけられずの携帯電話を発見、時間を見ると7時を過ぎていた。その場所は山の上なのか電波が立っていたので家族へ連絡すると、既に友人は来ているらしく興奮気味で事情を説明し無事に事なきを得るという恥ずかしい失敗談となった。私が熊を見た最初の出来事であった。振り向いた時に見えた鮮やかな黄色をした首裏の毛色が頭から離れない。
川岸の斜面に残る熊の痕跡

下りアメマスの群れに出くわした10月下旬(晩秋)の湿原の川。川中へ目を凝らすとアメマスの群れがかすかに見える。ルアーを投げれば釣れ、また投げれば釣れるを繰り返していた。「こんなに釣ったのだからもういいだろう」と自分に言い聞かせてもそうならないのが釣り人?楽しいのでどんどん川の上流へ足を進めてしまう。いつもであれば川の出合いなど「ここで止める」と決めている場所がある(ここから戻るまで何時間掛かるとかある程度の計画性を持った安全な行動を頭に入れて趣味を楽しむ)のだが、かなりの上流域まで来てしまった。時間的にも獣の時間帯と言うべきか、午後2時を過ぎると人の気配を気にせずシカが出始める。「次のカーブ、大きく曲がっているな。深く抉れていて大きな魚が着いているかもしれない。そこまで行ったら止めよう」そう考え釣りしていると辺りの雰囲気が何か違うことに気づく。さっきまで鳥のさえずりがあって賑やかだったが「シーン」と静まり返っている。近くに野生動物(熊)がいるのではないかと立ち止まり静かにしていると「ガサガサ~ドッ」とか「ズ~」と何か引きずるような音が聞こえる。「鹿だろうか?」と手持ちの鈴を「ジャリンジャリン」と大きく鳴らしてみるが何の反応も無い。「気のせいか」と思い釣りを続けようと何歩か歩いた瞬間「ガサガサガサガサッ」ともの凄い音を立てて藪の中を何かが逃げていくような音が聞こえた。驚くほど釣れるアメマスに高揚していた気持ちが一瞬で凍りつく。「ジャリンジャリン」と何度も鈴を鳴らし気持ちを落ち着かせ何気に大カーブへ目をやると、何かが滑ったような跡が見える。気になり近づいてみると熊の足跡がくっきりとあり、川岸から広がる斜面を滑り落ちる跡が何本も付いていた。ここで遊んでいたのか、熊同士でじゃれあっていたのかは分からないが、釣りどころではなくなり鈴を鳴らしっぱなしで来た道を引き返すことに…少し歩くとまた鳥のさえずりが始まっている(鳥の声を聞くと何故かもう大丈夫という気持ちになる)。出くわしていたら大変なことになっていたかもしれない。
鹿を狩る二頭のヒグマ

通い詰める湿原の川へ相棒と出掛けた11月初冬の出来事。日の出とともに霜が降りる小高い草地の丘を越え、川へ向かう途中で獣の声が遠くから聞こえる。多くは「ギャー」「ギャ」といったかん高い鳴き声はシカのものだが、たまに「キャン」「キャン」と高い声で鳴く子熊らしきものや「ヴゥゥ…」「グルル」と低く太い親熊のうなり声も聞こえてきたりする。「このルアー釣れるよ」「あの川にはデカいイトウが着いているらしい」などと釣り人ならではの会話をしながら相棒と釣りをしていると恐怖心も若干安らぐもの。この日はアメマスのほかイトウも釣れ満足いく釣果が得られ「来週は今回攻めた場所から下がろう」と会話を弾ませ丘の頂上付近を歩いていると、相棒が「あれ熊じゃないか」と指さしている。見ると黒い二頭の熊が鹿を追いかけている。逃げる鹿の足は速いが熊の速さも相当なもの。相棒と二人で唖然としながらその光景を目にしていたが、こちらへ向かって来ては大変と二人で鈴を鳴らしまくった。遥か遠くまで走り去っていったところで再び歩き出し無事車まで到着、辺りはすっかりと暗くなっていた。このような野生の営みは過去から続くものと思われるが、私がこの光景を目にしたのは今から15年ほど前。釣り場で鹿が熊に食べられた痕跡を見るようになったのはこの頃からだと思う。
「当ブログの一部画像には、AI技術(生成・補正)を活用しております。」
第3部へ続く


